NAPPAとは?一蓮托生とばかりに勝手に弟のハンドルネームを使った話

こんちはNAPPAの愛です!

今回はタイトルがちょっと意味わからん感じになってますが

要は屋号にしてるこれ↓

art and healing place .NAPPA

んん?・・・なぁにそれぇ?

まあこの屋号の「NAPPA」についてべらべらと語りたいな~と思ってます

っていうか

NAPPA?なっぱ?菜っ葉?ドラゴンボールの奴?なんで?っていうね

読み方からして「なんて読むん?案件」になる事多々でして

もっと読みやすくてわかりやすい名前に何故しなかったのかと思う事もありました(笑)

まあ色々あるナッパですけれど、私は個人事業をやる時は絶対「NAPPA」と名付けると決めてました

それには理由があっての事

無類の葉物好きでもないですしヴィーガンでもありませんよ(お肉大好きです)

ドラゴンボールはベジータが好きですよ(肉好きやけど)

さて、そんなしょーもない情報は置いといて、NAPPAについての詳細話に参りましょう

お涙頂戴がしたいわけではないんですが、内容的に闘病の末天国に行った弟との話なので

そういうのが苦手な方はブラウザバックでお願いします!

目次

NAPPAってなんなん?

『art and healing place』の事については、サイト内ABOUTでちらっと語ってるのでよければご覧になってみて下さい

由来

NAPPA=nappa 弟が生前Twitterで使用してたハンドルネームが由来

弟に勝手に使うな、って言われそうなんですけど勝手に使いました(笑)

なんでそのハンドルネームなのかというとですね

彼がこの世の最後に沢山の人に知ってもらっていた『彼』なんですよね

闘病中、亡くなる3日前程までかな、投稿していて、800程のフォロワーさん達とやりとりもできていたんです

で、生きよう生きようとしている最中、最後友人に会う事も拒み、魂を肉体から手放したわけでして

私は、そんなの、志半ばの寿命だったにきまってるやろ・・・と思っていたわけなんです

その時私はまだ会社員でしたが、いつか自分で仕事がしたいとは心のどこかでぼんやり思っていたくらい

その頃になんとなく『志半ばでこの世を去ったあんたも一緒に』って感じになるし、最後のあんたの名前使わせてもらおうかな~くらいには思っていました

いざ、このまま一生文句を言い続けて、迷惑をかけて、会社員として生きるのは辞めよう!と、気持ちが動き出し

事業の立ち上げに向けて行動しようとしている時には、勝手に『NAPPAにする』が確定していました

そして、そのまま迷いなく使った!という感じです

迷ったのはむしろ前置きのart and・・・のあたり、結構地味に何時間かけたかわからんくらいに熟考しました

総合的な意味だったり、響きだったり、字面だったり、画数までも、格闘しました

無駄に時間かけすぎた感もあるけれど、まあそうでもしないと、私納得するまでとことんやからね

生前の彼に重ね、マイペースで人を想い,に理屈っぽく、時に優しく、時に笑いの力も大切に、穏やかだった彼の雰囲気を持つような全体像にしたいって感じ

屋号を決めていった記憶があります

共に、という意識もあったんですよね

自分も楽しく充実できるように、あんたと共にこれからも生きていくし

あんたの分も人のためにこの世でのお手伝いや、役割や、力になる事をやっていくね

みたいな気持ちも併せている

そんな感じです

一蓮托生って書いたのは、こういう事だったりしたわけです

nappa=弟と私の話

弟とは4歳差の2人姉弟で、私が20歳、彼が高校生になるころにはあまり関わる事もなかったり

距離の遠い感じの姉弟って感じでした

私が23歳で長女を産んだのですが、その頃から、良く実家にも通う様になり、彼も姪っ子を不思議な生き物と思いつつも可愛いと想ってくれていたようで、接点が増えました

その頃から、彼ももはや根治したと思っていたくらいの『がん』が悪さをしだします

闘病しつつ、そんな状態でバイト行くの?!という時もあったし、時に大きな手術も(いや、ほんとに想像絶するような手術)乗り越えつつ

私は先に申し上げたように、程よい距離の姉貴、でいた感じです

彼の姪っ子たちにあたる、私の娘達の方が、腫物触るとか無垢なのでわかっていませんので

わちゃわちゃ彼に接していて、うるせーな!クソガキ!と思う事も多々あっただろうけれど、屈託なくてちょうどよかったのかもしんないな~と思ったりします

そして、弟が闘病中も人との交流をとっていたのが、Twitterだった様子

時折、LINEでもちらほらやり取りをしたりはしていたようですが、誰も彼が末期がんと闘病中とは思いもよらず『持病があるらしい』とか『がんだったようだ』程度の認知だったのではなかろうかと思っています

なぜかと言えば、きっと彼は仲間にわざわざ心配かけたり、カッコ悪い事はしたくない、弱いところはあまり見せたくないという感じの性質だった様に思っているからです

ちなみに、彼が亡くなった後に訃報を受け、遠方からお線香を上げに来てくれた彼の友人には、本当に家族として姉としてありがたい気持ちでいっぱいでしたし、彼の話をしてくれて教えてくれた事は感謝の思い出です

で、どれもこれも『~と思っている』と書いているのは、末期の頃の彼に末期であると思わせたくなかったので、というかそれをきっと嫌がると私は勝手に解釈していたので、それまでと変わらず、ある程度距離のある姉貴という雰囲気を壊さないように、微妙な距離感でいたんですね

まぁ、亡くなった時はもっと話せばよかったなぁとか思ったものですが・・・

それが私のやり方で、何よりも『もうすぐ死ぬかもしれないからそうしてる』っていう感じが彼に伝わるのを避けたいと考えた私のエゴでもあります

なにせ彼は『生きよう』としていたし、その意志が最後の最後まで無くなる事はなかったからです

なので、亡くなった後はきっと肉体が無くなってしまって悔しかったのではなかろうかと想像しました

親孝行もしたかったかもしれないし、自分だって夢が無かったわけではなくて、何より、普通に生きて普通に仕事をして、お金を稼いで生活したかったんじゃないかなとか、家族だって持ちたかったんじゃないかなとか

色々考えましたし、死生観について調べたり私なりに考えたりする日々でした

まあ今となれば案外、彼は天国でそれなりに自分を謳歌してるかもしれませんけどね(笑)

そう、人生って一回なんだよなぁ

そんな事を痛感させられて

その後子供たちが不登校になったり(現在は不登校であることは問題視していないですが、当時は普通の事ってのが崩れる感覚に戸惑い色々と悩みました)

少し前からADHDやASDである事も診断を受けている中、私にとって当たり前だったことや普通の事がった事がどんどん変わっていくし、それに順応するのもなかなか大変で、私自身病んでしまったりしてました

当たり前の事だからって、どこか我慢して耐えて見ないようにしてる事も沢山ある中で生きているのでは?と思ったり

たった一度だけの人生なのに、それで良いんだろうか

みたいな事が気持ちの中で大きくなっていました

自分が心に抱えているものがあり、どうにかしたら形になって行く可能性があるならば、それに目を向けての努力を楽しんだり、時間を費やし生きるべきいなんじゃないのかって思えたりして

ぼやぼや~としていたところから、くっきりしてきた先行きの形を見いだせたような感覚でした

ほんと悲しいばかりではなくて、弟の命の闘いから、姉貴は沢山学ばせてもらった

そんな弟と私のお話しでした

まとめると

  • NAPPA=弟の生前使っていたハンドルネームが由来
  • 彼の意志や彼の生きたかった気持ちを少しでも未来に繋げたかったから使った

こんな感じですね

今は、彼も天国で日々楽しんでくれていたらいいな、と思ったりしてますが、お互い何か自分のやりがいを見出したものには集中して力を注ぐタイプなので、彼は彼でこの世でできなかった自分の熱中できる事を、あの世で奮闘してくれていたりするのかなとか思ったりもします

『一蓮托生』の意識はなくなりはしませんが、勝手に背負うという感じではなくて、あんたの人に親身になれるとこ、私も大切にしてお仕事して生きてくよ!がんばってるからね~!という感覚で日々活動しています

長々お付き合いいただきありがとうございました!

それではほな~

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